水辺

日記/雑感

日記(2023.12.20)

実家から物資が届いた。前日にも食材を買い込んだので、冷蔵庫の整理を始める。たくさんの野菜とともにデストロイヤーというジャガイモがあった。事前の連絡で「名前の由来は調べてね」と言われたが、特に調べずに大予想。ゴジラの宿敵のデストロイアだと思ったのだが、そうではなかった。デストロイヤーは赤茶色のジャガイモだった。調理方法は考え中。昼食は、玉ねぎとトマトのパスタ。太麺のパスタを使った。茹で時間、衝撃の16分。モチモチで美味しい。

アキ・カウリスマキの新作『枯れ葉』を鑑賞。素晴らしかった。冒頭、ヒロインのアンサは労働をこなして自宅に帰る。ラジオからはウクライナの現状を伝える報道が聞こえる。暗澹たる気持ちだ。日常の疲弊と世の中の憂さが重なる感覚は誰にでもあるだろう。軽妙なやりとりと粋な台詞は健在で、皮肉とユーモアでくすりと笑わされるが、随時伝えられる報道は現実を見せつける。ただ、そんな世の中だからこそ、ホラッパとアンサの不器用な恋愛の尊さ、大切さが浮かび上がる。

アンサははっきりと「ひどい戦争」と言う。これを言うためにカウリスマキは帰ってきたのだろうと思う。彼らは一度は職を失い、収入も減る。それでもデートには花束を買い、いつもより少しだけ贅沢な食事を作り、殺処分を待つ野良犬も助ける。映画、音楽、洋服など、慎ましくも文化を享受する人間たちの姿はカウリスマキの作品の魅力だ。私の暮らしは困窮とは言わないが、裕福とは言い難い質素なものだ。カウリスマキの作品で描かれる些細な幸福の瞬間は、私の生活にも希望をもたらす。本当に救われる思いだった。

人形町ジビエのお店、ぼんくらに行った。上司とともに二度目の訪問。そして、今回は慰労会。年末年始も労働なので、我々に必要なのは忘年よりも慰労なのだ。ぼんくらはメニューを見るだけでも飽きないのだが、頭を抱えるほどの情報量と言える。カモ、エゾシカ、クジラなどの定番はもちろん、アナグマ、ヒグマ、トドなどの珍品も並ぶ。食べたい料理は決まらず、おつまみの盛り合わせを食べつつ、メインを考える。結果、ヒグマと原木椎茸のすき焼き、カモの煮込み、エゾシカのユッケ風、ジビエのおでんなどなど。どれも美味しかった。信じ難いだろうが、どれも食べやすく、拍子抜けするほどだった。会計時にジビエのおせちも予約。上司が「こんなに太客になるとは思わなかったな」と言った。同意見だが、何度でも訪れたいお店だ。

雑感(2023.12.18)

風邪を引いた。コロナを除けば、久しぶりの不調。私の風邪は喉をやられるので、声に不調が現れる。喋った途端、開口一番「ガサガサじゃん」などと言われる。言い訳だが、職場に病気の症状が出ても病院に行かない人がいる。同居人がコロナを発症したときも言わず、それを聞いたときもふざけるなと思ったが、今回も思った。おかげで、ウルリケ・オッティンガーの特集上映も逃した。ふざけるな。目下、全体的に職場の健康状態も悪い。すでに治ったが、喉の違和感は残っている。

14日、oono yuuki bandのレコ発へ。対バンは、折坂悠太。今回は合奏とも重奏とも異なる、4人のミニマルな編成。編成が変われば、楽曲の雰囲気も変わる。「道」はいくつかのアレンジがあるが、今回のバンドでの演奏はとても好みだった。のろしレコードでの演奏も聴きたい。現在の編成での新曲と思しき、「人人」も聴けた。これも大好きなので、次回のアルバムが楽しみ。oonoさんのライブは初めてだったが、彼らの音楽も素晴らしかった。久しぶりに「エモい」と言えるライブを見た。oonoさんの朴訥で繊細な語り口と、力強さが爆発する滾る演奏が凄まじかった。エネルギッシュでパワフルだが、サックスとフルートの音色で華やかさもある。今後も追いかけたい。最高だった。

某日、マブと忘年会。忘年会とは言いつつも、いつも通りの定例会。楽しかった。私の近況も報告。ようやく、伝えるべき人たちに伝えられた。マブたち、ありがとう。それにしても、この日はたくさん食べた。野菜の天ぷら、舞茸のバター炒め、茄子の揚げ出し、スズキのお刺身、梅肉と大葉とささみのフライ、お漬物、水炊き、おにぎりなど。もちろん、お酒も飲んだ。おれたちは成長期だ。

MBTIが苦手だ。元々、占いとか、診断系の類いは好まないのだが、はっきりと嫌いかもと、たまに思うほど。周囲の人たちがそれを好きなのは構わない。そこで得られた結果が自身の指標になるならば、それはポジティブだ。ただ、その診断が他者を判断する材料になるのはネガティブだ。私は診断結果が覚えられない。興味がゼロに等しいからだろう。周囲の人の方が覚えている。それを考えると、ある種の判断材料になっているのだろうかと、少し穿ったことも考える。診断に頼るな。相手と話せ。お前らに必要なのは、ナマの会話、本気のコミュニケーションだ。

日記(2023.12.9)

驚くほどの快晴。休日は晴れるだけでもはなまるだ。億劫な家事も清々しい。昼前に外出。本日の予定は芝生なので、パンでも買おうかと思い立ち、近所のお店へ。四角いバインミーを購入。無理だろうと思いつつも、カットはできますかと尋ねると、断られた。予防線を張ったにもかかわらず、少なからずしょんぼりする。なんだか、些細なことでぐらつく日だなと思う。

神代植物公園を目指す。手段はバス。いざ、バス停を探すと場所がわからなかった。吉祥寺からバスに乗ることは、私の生活にはない。駅の周辺にバス停がたくさんあるのは把握している。帰宅ラッシュの時間帯に長蛇の列を見かけることもある。気にも留めない光景のひとつだが、そこに関わる当事者になることで、普段は見えていない景色が見えるのは面白い。ただ、バスに乗るだけなのだが、そんなことを考える。

神代植物公園は盛況だった。新宿御苑よりは穏やかで、のんびりと園内を巡れた。意外とカップルが目立つ。みんな、そんなに草木が好きかいと、胸中で尋ねる。バラ園の見ごろは過ぎていたが、枯れる頃合いが魅力的に見える。それを湯気ちゃんに話すと共感を得られたので嬉しかった。温室の珍奇な植物が面白く、飽きずに見られる。多肉植物は定番だが、ランの造形もヤバい。あらゆる植物を見つつ、怖いだの、キモいだの、偏差値の低い感想を飛び交うが、これも植物園の醍醐味だ。

有名らしいパンパスグラスの前に陣取り、休憩。バインミーを食べる。カットを断られた旨を話して、交互にかじる。「四角いのは食べやすい」と感想をいただく。駆け回る父親と子どもたちを眺めたり、飛び回るカラスを眺めて、思い思いに過ごした。日暮れの経過を眺めるだけの時間は大切だ。ちょこちょこと歩くカラスは『うろんな客』のあいつのようだった。

先日はタイミングが合わなかった居酒屋へ。美味しい串焼きで上機嫌。色々と話す。親しい人との関係性を築くときに、その人の居場所のような存在になれるのが理想的かもと思うが、それを最近も考える。そんなに大らかとも言えず、他者を受け入れるほどのスペースを持ち合わせているかはわからないが、自分と関わる人が心地よく居られるのが大切だ。思考は続く。

雑感(2023.12.8)

チバユウスケの死が受け入れ難い。彼にしか出せないあの嗄れ声がこの世から失われたのが悲しい。訃報が届いた日、日がな一日、ラジオが流れる部屋で自堕落に過ごしていた。こんなにもチバユウスケの名前と彼のバンドの音楽が外部から聴こえる日があるのかとぼんやりと考えた。同世代には突き刺さる訃報だったらしく、ショックを受ける友人たちも多かった。各々が彼の好きな曲やら気持ちを吐露することで、チバの不在に輪郭が帯びる。彼の歌声を求めて何度も聴いているが、そればかりでは凹むので他の音楽も聴いている。今週は好きな音楽家のリリースが多い。

折坂悠太の新曲「人人」が素朴な味わいだった。「栄養」と「ええよ」で韻を踏むのが彼らしい言葉選びだなと思う。ひらがなの「えいよう」に聴こえて、その柔らかい歌い方も今の気持ちに心地よい。THE NOVEMBERSの新譜『The Novembers』もかっこいい。一番好きだった時期の雰囲気を感じつつも、そのころよりも開かれた印象を受ける。

師走は予定が増える。今月は私の誕生日なので、何をしてもいいかという気分に陥る。もちろん、自制は必要なのだが。それでも幾分緩む。なるべく楽しく過ごしたい。月末、角銅真実のワンマンが行われるので、チケットを早急に確保。年の瀬に彼女のライブが見られるのは多幸感がある。ライブのタイトル「BIG HUG 2023」も素晴らしい。今年はハグの年。

オッペンハイマー』の日本公開が決まった。配給は、ビターズ・エンド。びっくり。楽しみだったかと言われれば微妙なところで、観るとは思うのだが、我ながら歯切れが悪い。ビターズ・エンドが配給権を取れた経緯も複雑な気持ちだ。要するに大手がビビったんでしょと容易に想像ができる。あくまでも想像だが、これが事実ならばあまりにも悲しくてダサい。

高田世界館の投稿が目に留まる。

どういうことだろうと思ったら『自由と壁とヒップホップ』というドキュメンタリーが上映中だが、上記の通り、お客さんがゼロだったらしい。内容を調べると「ヒップホップと出会ったパレスチナの若者たちによる、音楽による非暴力の抵抗を描き出した2008年のドキュメンタリー」とある。観る手段は少なそうだが、めちゃくちゃ面白そうだ。暴力の現実に心を痛めることはできてもそこからできる行動は少なく、そのひとつに募金がある。それも必要で素晴らしいことだが、意外と難しいのは関心を持つことなのではないかとたまに思う。こういう作品はとっかかりになる。少なくとも、私にとってはハードルを限りなく下げる。どうにか観たい。

日記(2023.12.2)

自宅に食料が見当たらず、友人にもらった変わり種の羊羹、小倉バター羊羹を食べる。コーヒーに合うらしいので、豆を挽く。コーヒー豆の残量も僅少。先日、友人とも話したが、私は食料のストックが少ないらしい。お菓子も少なく、冷凍食品、レトルト系の食品も滅多に買わず、食材も次の休日までの分しか買わない。次の休日に買い出しに出るとも限らないのだが。

阿佐ヶ谷をふらつきたかったので、ゆるゆると向かう。毎月、第一週目の土曜日に催される阿佐ヶ谷神明宮の骨董市を覗く。14時過ぎに着いたらすでに終わりかけで、ほとんどが撤収中だったが、蟹の箸置きの群れに目が留まる。うつろな目がキュートで、2匹を連れ帰ることに。ランチタイムに間に合うので、行きたかったおうどんのお店、トーホーセーソーに駆け込む。熱々のつけ汁と柔らかめのおうどん。野菜がたっぷりで美味しかった。

阿佐ヶ谷の定番のコースを巡る。古着屋、古本屋を物色。成果は得られず。アウターが欲しいのだが、痺れる出会いに恵まれない。本が読みたかったので、gionに向かうが満席。行きたかったお店もいざお店の入り口まで来ると、一見には入りにくい雰囲気だった。今日ではないと扉に囁かれる。西荻窪に移動。村田商會へ。店内は満席だったが、入れ替わりで入店。ようやく、読書の時間を得る。『哀れなるものたち』を読み進める。退店後、吉祥寺へ。道中、FALLに立ち寄る。先週も来たが、先週はなかった商品を見つける。陶製の奇妙な猫の置き物。あまりの可愛さにお持ち帰り。バッグに蟹が2匹と猫が1匹。小さきものたちを連れ帰る。

湯気ちゃんと合流。染まったばかりの髪が綺麗だった。光の色に見える。光の色は何色だろうかとも思うが、光の色だった。夕飯は、白菜と豚バラの鍋、簡単なおつまみを作った。人と料理を作るのは久しぶりで、若干の緊張。食後、是枝裕和歩いても 歩いても』を雑に鑑賞。発端はクリスマスの過ごし方の話で、家庭ごとに違いが如実に現れるみたいなことだった。私の話の繋げ方がめちゃくちゃだが、既視感を覚える生活感、生々しい家族の描写を見せたかったのだろう。あまりにも恐ろしい樹木希林の演技には毎度脱帽。樹木希林、最強の時期だ。